3.11原発震災から日本は、そして東京は、何を学んだか

今日は、東日本大震災、東京電力福島第一原発事故から10年。今日のこの日をみなさまはどのようにお過ごしでしょうか。今年は10年の節目でもあり、多くの報道・番組が、また被災地を応援する市民活動団体らが、あの日から10年をテーマに、特集を組んだり、終日オンライン集会を試みています。この間、東京・生活者ネットワークは、大震災発生後の5月、こども福祉研究所、子どもの権利条約総合研究所らが立ちあげた「東日本大震災子ども支援ネットワーク」に賛同参加し、被災現地の子ども・若者たちとの交流や、国会院内で継続的に行われてきた、国会議員や関係各省庁との被災地の子ども・若者支援に関わる建設的意見交換の場を共有。都や市区から被災地支援について質問を重ねるなどの実践を行ってきました。

また、2011年12月から2012年には、多くの市民・運動体と連携しながら脱原発運動を展開、東京電力の大株主である東京都であればこそ、東京から原発の是非を問う「東京電力管内の原発の稼働に関する東京都民投票条例制定を求める直接請求」運動を発信、各地の「直接請求を成功させる会」を、都内の全地域・生活者ネットワークが支えました。直接請求は、東京都議会の無理解を突破することはできませんでしたが、これらの運動によりつながり、支え合った多くの市民・若者らとともに、脱原発・脱炭素・持続可能な自然エネルギー社会実現に、決してあきらめないあらたなウエーブを共有してきたところです。

3.11から10年に寄せて、科学ジャーナリストで、東京電力福島第一原発国会事故調査委員会元委員の、田中三彦さんにご寄稿いただきました。

昨年3月の東京電力本店前抗議行動

 

3.11原発震災から日本は、そして東京は、何を学んだか

 

福島原発事故から10年が過ぎた。個人的ないまの想いを記せば、あの大惨事を教訓に、事故後ただちに、原発の新規建設はもとより、既存の原発の再稼働も認めない「脱原発」に向かって舵をきり、いまごろはその方向に向かって事が着々と進行している、そんな日本であってほしかった。しかし、現実は真逆。日本は老朽原発を再稼働させる危険な道をふたたび選択した。

対照的なのは、“原発推進派”のメルケル首相率いるドイツの選択だった。福島事故発生からわずか4日後に1980年以前の老朽原発7機の運転を止め、2カ月半後の5月29日には、残りの10機の原発を2022年12月31日までに順次閉止することを決定した。

日本では、あのときはもはやこれまでと思われた古い原発の多くが、このままだといずれ再稼働される可能性が高い。福島原発事故後に制定された「新規制基準」に適合していることを原子力規制委員会が承認し、原発立地自治体が同意し、内閣が「再稼働」の政治判断を下せば、それらの原発はゾンビのごとくに蘇る。その最初の例は、第二次安倍内閣の判断で2015年8月に再稼働した九州電力川内原発1号機だった。以後、今日まで9基の原発が同政権下で再稼働した。

これまでに再稼働された9基は、すべて関西以西の原発だったが、今日再稼働の波は東日本へと向かいつつあり、つぎなる再稼働原発とされているのが、新潟県にある東電柏崎刈羽原発6、7号機である。東電といえば福島大事故を起こした張本人だが、その東電は7号機を今年の6月に再稼働する予定だった。しかし、今年に入って連日メディアが大きく報じているように、東電社員が柏崎原発の中央制御室に他人のIDを使用して不正入室していたり安全対策工事が未完了だったりといった失態があいついで発覚し、ついに2月26日、東電は運転再開予定を「白紙」にした。新潟県はいま東電柏崎刈羽原発再稼働問題をめぐって揺れに揺れている。

とはいえ、県知事、柏崎市長、刈羽村長ら再稼働に積極的だから、何年も白紙のままであるはずもない。遠からず再稼働されるにちがいない。凄絶な福島原発事故を経験してもなお、日本はなぜ脱原発に向かわないのか。そして、こと柏崎刈羽原発に関していえば、柏崎刈羽原発6、7号が再稼働されれば、生み出される電気はそのまま東電管内へと直送され、しかもその多くは東京で消費される。東京はエネルギーをいわば「他産地消」している。そういう意味で、東京都民は柏崎刈羽原発再稼働問題にけっして無関心であってはならないと思うし、東京都民の「柏崎刈羽原発再稼働ノー」の声は潜在的に柏崎刈羽原発再稼働を阻止するだけの力さえもっている。しかし、そのような声はようとして聞こえてこない。なぜだろうか。

数年前、ドイツの「エコ研究所」から原子力問題の専門家に来てもらって、ドイツがなぜ2022年脱原発に舵をきったかについて新潟市で講演をしてもらったことがある。東京に戻る道中、なぜ日本では脱原発が実現できないと思うかを尋ねた。「ドイツには早くから緑の党があり、その思想が政治の世界に深く浸透していたことが大きいと思う。」心に残る言葉だった。脱原発は、原発は安全か危険かという議論からではなく、基本的にはエコロジカルな思想から生まれると思っている。それが福島原発事故以降、私がひそかに東京・生活者ネットワークを応援し期待もしてきた理由でもある。

田中三彦
元原発設計技術者 科学ジャーナリスト、元新潟県技術委員会委員、元国会事故調委員 長野県茅野市在住