メディアの責任〜原発依存になったわけ

政官財界、学者、メディアの責任を追及する市民の力量もまた、問われている

3・11以降、日本政府が発表する情報への不信感が国内外で増している。一方で、納得できる情報をインターネットにもとめる人が急速に増えている。10月29日、未来を拓くエネルギーシフト連続学習会(主催:東京ネット未来プロジェクト)が、フリージャーナリスト岩上安身さんを招いて開催された。
岩上さんは、「国民の代表」を自認する大手メディアだけが入ることのできた記者クラブというカルテルに風穴を開け、情報を入手し、インターネット・ソーシャルメディアを活用、発信することによって、情報の民主化を進めてきた第一人者。この日のテーマは「メディアの責任〜原発依存になったわけ」。事故を契機に、「原発を巡る深い闇」が白日のもとにさらされた。ようやくだ。
しかし現実は、原発過酷事故を起してなお日本政府、東京電力の事故対応における小出し、後出し、情報操作は止まらない。政官財界、学者、メディアの責任を徹底的に追及する市民の力量もまた問われている。

■「再軍備兵器生産への備え—科学技術庁新設」から始まった核の平和利用というまやかし

1952年、科学技術庁がつくられたのは原子力の平和利用という名目のもと、れっきとした再軍備のための核兵器研究機関としてであり、日米両政府の思惑が大きくからんでいた。もちろん発電は二の次であった。当然、経済性や安全性は度外視された。アメリカCIAからポダムというコードネームを与えられた、読売新聞社主だった故正力松太郎は、原子力による産業革命と保守合同を掲げて政界入りし、鳩山内閣の初代科学技術庁長官に就任。原子力委員会、原子力産業界などを立ち上げ(日本の核政策の姿は、藤田祐幸[長崎県立大学シーボルト校非常勤講師]の論に詳しい。岩波書店「科学」2011年12月Vol.81№12、「日本の原子力政策の軍事的側面」など多数)、さらに、日本テレビ社長という地位を得て、原爆被爆地である日本において戦後原子力政策の推進に道を開いた。政官財界と学者、報道の癒着が原発依存を助長させたことは、推して知るべしということだ。

■メディアが暴かなかった自明の理「原子力はもっとも発電単価の高い電源」

原発事故を前にした2010年、それまでも問題視されてきた「原発は安い電力を供給する」という一方的な原子力神話を、実態から覆す研究に注目が集まっていた。立命館大学国際関係部教授の大島堅一さんが第48回原子力委員会(2010年9月17日)に提出した、「原子力大綱見直しの必要性について—費用論から」という問題提起だ。そこでは、エネルギー政策と費用に電力各社の『有価証券報告書総覧』を基礎に算定した電源ごとの発電費用(単価)の実績が示されており、原子力単体で見た場合でも、原子力は安価な電源とは言いがたいこと、原発を稼働させるために、夜間余剰電力の捨て場として行っている「揚水発電」を含めれば、最も高い電源であると実証した。これに加えて、国の一般会計のエネルギー対策費や、電源開発促進対策特別会計から圧倒的な財政的な優遇措置を受け続けている原子力発電。バックエンド費用については、大規模実施例が世界的にないことや、高レベル放射性廃棄物の具体的計画がないことがあり、これを度外視しても、推計18兆円に対して得られるMOX燃料は9000億円程度と評価。さらに、田中内閣のもとで創設された「電源三法交付金制度」を廃止することを視野に入れた改革、再処理費用を電気料金の中に明示するなど、原子力政策改革のための具体的な方向を示していた。

■そして、3.11原発過酷事故は現実のものとなった

核の平和利用というまやかし=原子力発電がもたらしたものは、日本の食糧生産基地・東北北関東全域にばら撒かれた膨大な量の放射性物質と終わりの見えない事故処理である。原子力発電は安価という神話を信ずる人は今さらいないだろう。日本の原発は安全、日本の核技術は優秀という原子力神話もまた然りである。

電力は余っている。意味のないストレステストなどに再開の幻想をいだくのは止めて、原子力発電からの撤退、核施設の閉鎖をこそ考えるべきではないか。

■地球核汚染
http://www.youtube.com/watch?v=OvAODskUd8Y&feature=related

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