なぜ、いま「食育」なのか

食育を「知育、徳育、体育の基礎」と位置づけ、「生涯にわたり健全な食生活の実現に努め、食育の推進に寄与するよう努める」と国民の責務まで定めた「食育基本法」が昨年6月成立した。これを受け、東京都も「推進計画中間のまとめ」を発表しているが、私生活における食事という、きわめて日常的な個人の領域にまで法律が踏む込むことへの疑問は拭いきれない。

たしかに、朝食をとらない子どもや独りで食べる孤食、同じ食卓を囲みながら違うものを食べる個食の増加といった食習慣の変化は大きい。次代を担う育ち盛りの子どもたちに食の大切さを教え、子どもたちが正しい食習慣を身につけることが大切だが、こうした現象がなぜ拡がってしまったのか、根本的な問題を見過ごしてはならない。日々多忙な生活は不規則な食時間を生み、ファーストフードの氾濫、24時間営業のコンビニ、スーパーの長時間営業は、外食や中食(持ち帰りの弁当・惣菜)への依存を生んだ。さらに、好きなものしか食べないことによる偏食、ストレスによる過食や拒食症等々、社会経済情勢のめまぐるしい変化が「食の乱れ」を生み出している。労働環境の改善、生き方や生活を見直すことが置き去りにされたままでは、食生活の改善は容易にはかれないだろう。

今年3月、政府は、食育基本法に基づき「食育推進基本計画」を策定した。今後5年間に取り組む施策や目標を掲げ、目標数値も示しているものの、どう実現するかの具体策が見えてこない。

そこで先ずは、学校でできる取組から実施してみてはどうだろう。昼休みは40分間程確保されているようだが、実質食事をする時間は10〜15分と聞いている。これでは食事に関する話をしたり、友達や先生と楽しみながら食事をするゆとりもない。「食は文化」としてその時間を確保することから見直す必要があるのではないか。また、給食に地元で取れた旬の食材を使うことにより、生産現場に思いをはせる力を育むことや、時には自分でお弁当を作ってみるなど、食材を選んで調理する力を養うことなど、生きるための力をつけるために、できることから始めて食育を進めるべきではないだろうか。

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